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ドメーヌには責任が

シャトー・ドゥ・レクレールは企業の社会的責任による進歩の歩みに身を投じています。私たちのお客様や、関係する方々(協力者、納品及び引き取り業者)のため模範となる方向にむかっているのです。そこで私たちが専念しているのは、自然をそして働く男女を保護し、この企業を永続させ、私たちの価値とノーハウを分かち合うことにあるのです。

自然を守るということ:環境をより尊重するための私たちの責任は、私たちがテーラ・ヴィティス®を採用すること、畑の雑草はある程度残し(除草剤不使用)、またバイオコントロールの技術を使用することにあるのです。

働く人々を保護すること:毎日現場で働いている労働者なしには私たちのワインは出来ないでしょう。このワインの質のレベルは安全に健康で働ける労働環境があるからこそです。私たちが困難な労働を減らし、また危険を伴う労働の場を安全にすることで、人的資本を保護しているのです。

企業の恒久化:私たちのワインを作り続けるために肝心なことは、企業が競争力かつ持続性を持つということです。商品の多様化と今に見合ったワインを提供するため、生産コストの評価と管理をすることで実現しています。

我々の価値とノーハウを分かち合う:この地に根付くということは継続的進歩の基本的命題です。小学生達を迎え、研修生を受け入れ、さらにドメーヌの解放日を設けることで、私達にとって大変貴重なこの地、ボージョレにドメーヌを根付かせたのです。

サステナビリティレポート (PDF)

私達の研究/私達のチーム

ブドウの木及びワインを扱う研究学院

シカレックス・ボージョレ社はブドウの木及びワインフランス学院(IFV)と協力して仕事をしています。そこでブドウの苗木からワイン販売までの手段と能力をお互いに共有しているのです。

シカレックス・ボージョレ社のチームは独特のインフラ(設備、畑など)に基盤をおいています:実験の柱となる20Haのシャトー・ドゥ・レクレールのドメーヌ、革新的な定温反応槽、研究から得られたワインの性格付けのための臭覚分析室、そして小量での発酵(20〜40l)研究室とホールなどがあります。

ボージョレだけでなく、活動領域はお隣のブドウ栽培地域にまで広がっています。ブルゴーニュ、ジュラそしてサヴォワです。国家規模のいくつかのテーマに関して、ヴィルフランシュ地区の研究施設は、それが土壌管理についてであれ、恒常的な進歩に関してであれ、ブドウの木及びワインの副産物の有効利用にしても、臭覚分析、あるいは企業の社会的責任に関してであれフランスのネットワークのトップに名を連ねています。

このようにこのチームの研究が多領域にわたっていることにより、技術的基準を得ることができ、インスチチュートがここボ−ジョレの象徴でもあるセパージュ(ワインの木の種類)ガメイ種という植物素材から新しいものを創り上げ、頒布し保護維持する支えとなっています。またエコロジーに責任を持ったブドウ栽培の方法と実践を進歩させ、クオリティーと安全という観点から市場を良く知り、市場に適応するため、ブドウとその変化する過程の醸造の質を進化させています。

このような活動はフランス及びヨーロッパの研究センターとの協力のもとになされています。


ダイナミックなチーム


ドメーヌのチームに焦点をあてて

Michaël Larras

Michael Larras (ミカエル・ララス):  彼が2000年に入社した時期はリヴォレ村の赤のボージョレ・ヴィラージュ“アンクリネゾン“の畑の再生の時期でした。ミカエルは現在このドメームの責任者であり、テラ・ヴィティス®の方法を採用しており、また地方協会の中心人物でもあります。彼は2017年以降その醸造にも携わっており、彼の楽天的な性格はそのワインにも認められます。

Stéphane Braillon

Stéphane Braillon(ステファンヌ・ブライヨン):2011年入職の彼のブドウ畑の仕事は季節労働者のチームを統率する役を担っています。経験豊かで、仕事が丁寧な彼は妥協を許さない仕事をする人です。

Jean-Pierre Berger

Jean-Pierre Berger(ジャン-ピエール・ベルジェ):ドメーヌで数シーズン働いた後2017年に正式にチームの一員となりました。畑でのトラクターを扱う仕事を担っています。いつも笑顔の何でも屋さんです。

Amandine Piret

Amandine Piret(アマンディーヌ・ピレ):アマンディーヌがチームに加わったのは2008年、営業責任者としてワインの販売、ワイン観光の促進に努めています。訪問する方々をプロ精神を持って、共に楽しくお迎えいたします。

私たちの物語

1837

1837年 : このワインのドメーヌはGuinon(ギノン)家のものでした。Nicolas-Philibert Guinon(1807〜1885:ニコラ-フィリベール・ギノン):1827年リヨンのラマルティニエール高校で化学部門で主席を取った彼は1831年彼自身の染色会社を立ち上げました。またリヨン市の染色業者の75番目の共済組合も設立しました。1855年にはレジオンドヌール勲章を授与されることになります。

1847

1847年 : ニコラ-フィリベール・ギノンは無地の絹の生地にピクリン酸による黄色の染色を開発しました。世界で初めて発見された合成有機色素です。ギノン家はドメーヌ・ドゥ・コンヴェール(館の名前です)を一家の保養の場とします。今日でも存在しているブルジョワ風館は農業従事者の家(現在のシャトーの場所にありました)に隣接していました。シャトー・ドゥ・レクレールの建設はこの時期に始まりました。

1871

1871年 : 当時はシャトー・デュ・コンヴェールとして知られていた館の建設は、一家の息子達の一人によって1871年に終了します。建築物としての観点から見ると建物の玄関の階段が入り口の門の反対側に位置し、当時としては独創的で、訪問客は建物を一回りし、敷地全体を感嘆の念を持って眺めるように出来ています。屋根はブルゴーニュのつや出し瓦を用い、主人の財力を示しています。これをヴィオレ・ル・デュック様式呼んでいます。

1870-1880

1870年~1880年 : ボージョレのブドウは手ひどくフィロクセラ(根アブラムシ)の被害を受けます。ギノン家はドメーヌ全体に二度もブドウの木を植え直しましたが、どうにもなりませんでした。この落胆に打ち砕かれたギノン家はこの地を去ることを余儀なくされます。

1891

1891年 : ヴィクトール・ヴェルモレル(Victor Vermorel :1848〜1927)が城とブドウ畑を買いリエルグ村にやってきます。彼は畑に、ボージョレのブドウ研究家ヴィクトール・ピュリア(Victor Pullia)によって開発された接ぎ木の技術に基づいて、ブドウの木を植え直します。そして城をシャトー・ドゥ・レクレールと名付けますが、それは彼が発明した背中に背負う噴霧器(1888年発明)の名前がエクレール(Eclair:稲妻の意)であるのと、娘のヴィクトリンヌが城の浴室で感電死したことから名付けられたのです。1927年に彼は亡くなります。

1928

1928年 : 所有地全体がローヌ県の共済組合の手に渡ります。シャトー・ドゥ・レクレールは人を迎え入れる施設(夏の林間学校、療養所…)となります。ドメーヌの管理をしていたアントワーヌ・クレマン氏は優れたボージョレワインを手作りで醸造していました・

1980

1980年 : 日本人の辻静雄氏がボキューズ氏の協力のもと城を購入し有名な辻調理師専門学校のフランス校を開校します。毎年120人の学生を受け入れ、彼らはシャトー・ドゥ・レクレールでフランスのガストロノミーを学んでいます。1997年度のMOF(フランス最優秀料理人賞受賞)エメ・ナレ氏が料理の教授を努められています。

1980

1980年 : ワイン生産者の後押しで設立された地元の実験研究施設であるシカレックス社は1982年にブドウ畑及び醸造施設を購入します。私達はシャトー・ドゥ・レクレールの醸造施設、数haの畑、そしてシャトー・ドゥ・レクレールの商標を手にすることになりました。

 

1983

1983年 : フランソワ・ジャッケ(François Jacquet)がドメーヌの責任者を引き受けます。ドメーヌの進歩の始まりです。瓶詰め機械を購入し、瓶詰めの赤ワイン、とりわけボージョレの赤ワインを販売し始めます。こうして私達の商業活動が始まりました。

 

1985

1985年 : パリ、ヴィーニュ通りのワイン商リュシアンとイーヴ・ルグランがシャプタリゼ(加糖)しないワインの生産の挑戦をしないかと誘ってくれました。私達はそのチャレンジを受け入れました。十年後最初の、白のボージョレワインの販売を始めます。以後販売するワインの種類を増やしてゆきます。ボージョレ・ヴィラージュ、シェナ、クレマン・ドゥ・ブルゴーニュ、ブルゴーニュの白、ガマレと続き、ブドウジュースまで、そして忘れてはいけないのがボージョレ・ヌーヴォー、ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーです。

1988

1988年 : 1988年から2010年までシカレックス・ボージョレのディレクターを務め、ブドウ及びワインの国際機関の専門家でもあるジャン-リュック・ベルジェ(Jean-Luc Berger)がこの13人の小さな会社の指揮をとることになります。平行してもちろんドメーヌは拡大を続け20haをこえる面積となります。

1992

1992年 : ラベルのデザインを変更しました。

 

1996

1996年 : 私達の講義に、また同業種で異なる組織の方々の会合にも使用していただいていた会議室の改修をいたしました。今日企業のセミナーにも使用していただいております。

この改修工事と平行して初めてのシャルドネ100%のボージョレの白を作り上げました。

1999

1999年 : ワイン鑑定評価に高い能力を持つヴァレリー・ランプルール(Valérie Lempleur)が着任し、醸造担当として職務を遂行することになります。今日彼女はブドウの木及びワインの国際協会(OIV)のメンバーに選ばれています。

 

2000

2000年 : ミカエル・ララス(Michaêl Larras)着任。彼は丘の上部にある畑の再生の目的で雇用されました。そのおかげでリヴォレ村から私達の最初のボージョレ・ヴィラージュ「アンクリネゾン」(“inclinqison”:「急勾配」という商品名)が生産されるようになりました。

 

2003

2003年 : シカレックスボージョレ社の技術者であるチエリー・ドゥクッシャン(Thierry Decouchant)は労働のあらゆるセキュリティーに関する独特な書類を提出しました。

 

2006

2006年 : 再びラベルのデザインを変更しました。

 

2008

Amandine Piret2008年 : アマンディーヌ・ピレ(Amandine Piret)が営業責任者としてチームに加わり、ワイン販売、ワイン観光の促進をするようになりました。彼女はプロ意識を持って且つ気持ちよく訪問者をお迎えいたします。

2009

2009年 : ドメーヌはワイン観光に身を投じ、一般の方々を多くお迎えするようになります。

2010

2010年 :ベルトラン・シャトレ(Bertrand Chatelet)は1999年来同様の地位に就いてはいましたが、ジャン-リュック・ベルジェの引退に伴い新しいディレクターとなりました。

新たなブルゴーニュ・ブランとガマレを売り出し、商品の多様化をはかりました。

2011

2011年 : オプティピュルヴェ法(Optipulvé)を採用することで、畑のトラクターの往来を30%削減しました。

ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーが初めて市場に出されました。

2014

2014年 :私達はアプローチをHACCPのやり方に切り替えワインとジュースの線引きを確かにしました。我がドメーヌはテーラ・ヴィティス®ドメーヌと名称を変えました。

2015

2015年 : シャトー・ドゥ・レクレールの商標の新しいロゴが出来、さらに高いクオリティーが印象づけられました。

同時にドメーヌが責任ある、模範となり、永続的なものであるため企業の社会責任を中心におくことになりました。

2016

2016年 : 一般向けに会社を解放する催しを初めて行いました。

ボージョレで開発されたプロトタイプでもある、ブドウの房を丸ごと摘む小さな摘み取りトラクターの購入に出資いたしました。保存料も加えず、加糖もしていないブドウジュースも提供し始めました。

2017

2017年 : シェナの一区画に様々な目的でブドウの植え付けをしました。植え付けの密度を薄くする、針金で列になるように植え付ける、そして畝の間の雑草を生やしたままにする方法を採用しました。

2018

Michaël Larras2018年 : ミカエル・ララスがフランソワ・ジャッケを継ぎドメーヌの責任者となります。ミカエルは今日シャトー・ドゥ・レクレールにおけるテーラ・ヴィティスの方法を支え続け、つい先頃技術責任者でもありますので、地方協会の中心人物となりました。

ボージョレの中心
で私たちは繊細で現
代的な、今の時代のワイ
ンを創っています。

そこには私たちの革新的な精神、またシャトー・ドゥ・レクレー
ルの歴史を築いてきた先達の魂がこもっています。

テロワールは王様です。
(テロワール:その土地の自然条件)


自然のメカニスムの難しさを自覚している私たちは、それをより良く理解することに勤め、穏やかな、かつ前もって防ぐことが出来るようなやり方でそれをコントロールしています。畑また醸造所においても人間が注ぐ力を抑えているのです。だから我々のワインはブドウそのものを最も忠実に反映しています。ワインはテロワールが主張するままにまかせ、その土地のタイプ(その土地らしさ)を保証するのです。

生産は全く理に
かなったもの。


ブドウの木に対してはまさしく特別な世話をしており、「自然の理にかなった生産方法」で仕事をしています。我々はこれをテラ・ヴィティス(Terra Vitis®)という商標としました(Terra Vitis®:ブドウの大地)。私たちはブドウと土地と天候のバランスを重視しています。私たちの戦略は自然を尊重し予防的な方法を持ってして、出来る限り早め早めに手を入れることです。



雑草からブ
ドウの木へ


私達のブドウ畑は除草をしません。それは畑の生態系の多様さを促し、土壌浸食を抑え、そしてブドウの木自身の力を自然にコントロールする方法で、これがブドウの最良の濃縮度を保証するからです。

土は生き
ている。


土壌と畑の自然条件のタイプによって技術的選択がなされます。畝を通過する工作機械の回数を限定し、土が硬く圧縮されるのをさけます。こういったことがすべて重なり合って環境を尊重した耕作が担保されるます。質の良いブドウが私達にとって良いワインのベースになっているのです!

20haがそれぞれ
表現している。


今日私達の20haの畑にはガメー種、シャルドネ種、そしてガマレ種のブドウが植えられています。そして畑は数町村に散らばっています。ポルト・ドゥ・ピエールドレ、ジャルニユー、リヴォレ、サンテチエンヌ・ラ・ヴァレンヌ、シェナ他。このテロワールの多様性があってこそ多種の質の高いワインを提供できるのです。

守られ
た香り


新しい技術として採用しているのが特にDIAMコルク栓(コルクの香りが着かないことは保証されている)を使用すること、そしてブドウを丁寧に摘み取る摘み取りトラクターへの投資です。このトラクターはブドウの房ごと摘むという優れたシステムなのです。

アイデア満載
の研究所


シャトー・ドゥ・レクレールには実験用発酵室があります。

この場所と私達シカレックスボージョレ社(SICAREX Beaujolais)及びブドウ、ワインフランス学院(IFV:Institut français de la vigne et du vin)のエンジニアや技術者の協力のおかげで、ここボージョレ地方で私達は常にワインの質の向上及び実際に生産するということを続けられるのです。



革新の
大地


1891年にはシャトー・ドゥ・レクレールの当時のオーナーVictor Vermorel(ヴィクトール・ヴェルモレル)はブドウ栽培ワイン醸造に情熱を捧げる一人の発明家でした。

今日私達は誇りを持ってこの遺産を引き継いでゆきたいと思っています。ブドウの木からワイングラスに至る数々の実験を通して、私達の多くの望みを実現するのは、環境を、ブドウの木を、ワインを、それを飲まれる人々をそして私達が引き継いでいる多くの伝統を尊重することで可能となります。



白い果汁の黒ガメー種、
シャルドネ種、
そしてガマレ種か
ら作られるワイン
の完璧な品揃え

私達は白赤のワイン、発泡性非発泡性のワイン、そしてブドウジュ
ースまで作っています。
これが私達のワインです。



私たちのワインを発見する